半導体用語集

半導体産業を巡る攻防

英語表記:semiconductor wars

 1960年代のトランジスタ時代、1970年代のIC時代は、半導体産業の主役は、主として米国メーカーであった。しかし、1980年代は、果敢な設備投資をして生産技術の革新、品質向上に努め、DRAM市場で覇権を握った日本メーカーが急速に地位を上げていった。特に、1980年代半ばから 1990年前半までは、日本の総合電機メーカーがDRAM市場でのシェアを独占、半導体全体でも、NECが1992年まで、世界でシェアトップとなった。国別のシェアでは、1980年には、日本は30%弱、米国は60%弱であったが、1986年に米国を抜いてからは、1988年、1989年は、日本のシェアが50%を超え、1992年まで、日本がトップであった。しかし、1993年に、米国に再逆転されてからは、日本のシェアは30%前後まで低落してきている。日本に代わってシェアを上げてきたのが、韓国、台湾である。特に、財閥の資金力を背景に、かつての日本以上に積極的な設備投資を敢行した韓国では、サムスンが日本の総合電機メーカーに代わってDRAMでトップに躍り出た。台湾も、韓国とは対照的に、ファウンドリを中心に、競争力を拡大してきたが、1995年以降、新竹のサイエンスパークに続々と設備投資を行い、一躍、半導体の供給基地になった。この間、日本メーカーは、 日米半導体協定などで手足を縛られ、得意の国家プロジェクトもできず、DRAM事業のリスクを怖れて、設備投資を控えた萎縮の時期となった。1995年以降は、韓国、台湾に加えて、日本メーカーも再び積極的な設備投資を行ったが、プロセス技術が製造装置にビルトインされてしまっては、DRAMで差別化することができず、却って供給過剰に拍車をかけるばかりであった。加えて、アジアの経済危機もあり、DRAM中心の半導体メーカーは未曾有の赤字に転落、事業の撤退や縮小が続いた。特にTIのマイクロンヘのDRAM売却、現代電子とLGセミコンの合併は象徴的である。この中で、半導体ビッグバンともいうべき再淘汰が起こっている。

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