半導体用語集

ウルグアイ・ラウンド

英語表記:Urguay round

 1986年9月、ウルグアイのプンタ・デル・エステで開催された閣僚会議でラウンドの開始が宣言された。これがウルグアイ・ラウンドであるが、1993年12月15日にジュネーブのGATT本部で決着されるまで実に7年3ヶ月の月日の間様々な議論がなされた。そしていく度かの挫折を繰り返しながらも、最終的にはWTOを設立することでGATTの機能を昇華させたという意味で、ウルグアイ・ラウンドは成功に達したといえるであろう。「GATTの強化と拡大」を主命題としてスタートしたウルグアイ・ラウンドでは、交渉の全体を統括するものとして貿易交渉委員会があった。この委員会に報告書を提出する下部組織として、さまざまな交渉部会が持たれた。一般的貿易自由化の問題としては、関税、非関税障壁について、特定部門の貿易自由化の問題としては、天然資源製品、繊維・衣類、農業、熱帯産品などについて、法的枠組みの改善としては、GATT条項、最恵国待遇、セーフガード、補助金と相殺措置、知的所有権の貿易関連側面、貿易関連投資措置などについて、制度としてのGATTの改善としては、紛争解決、システムの機能などについての交渉部会が持たれた。
 GATTの意思決定プロセスは、いわゆるコンセンサス方式が原則であったことから、マサチューセッツ工科大学のレスター・サロー教授が「GATTは死んだ」とさえ発言したように、いく度もの停滞・挫折があった。このウルグアイ・ラウンドにおいて、GATTに代わってWTOの設立が決まったことは、戦後設立されるはずであった国際貿易機構(ITO)が流産して以来、ずっと続いた「暫定的な」GATTによる変則的体制が終了し、今後の多角的交渉を通じて世界貿易の一層の自由化を実現するための本格的な国際機関を誕生させたことに他ならず、大変な成功であったといえよう。

関連製品

「ウルグアイ・ラウンド」に関連する製品が存在しません。

関連用語

関連特集

「ウルグアイ・ラウンド」に関連する特集が存在しません。




会員登録すると会員限定の特集コンテンツにもアクセスできます。