半導体用語集

マイクロプロセッサ

英語表記:microprocessor

 マイクロプロセッサの誕生は、1971年である。これは、4ビットの簡単なものであったが、1975年には8ビットMPUが、1981年には、16ビットMPUが開発された。さらに、1987年には、32ビットMPUが登場、半導体業界だけでなく、PC、ひいてはエレクトロニクス業界全体をリードするようにさえなった。特に、この10年は、インテルのMPUがデファクトスタンダードとなり、このMPUに搭載されて動くOS、「Windows」とともに、「WINTEL」帝国を築いた。このマイクロプロセッサ(MPU)開発の直接のきっかけは、電卓であったが、その後、PCを産み出し、オフィス、家庭、社会をも変えつつある。1969年に、日本の電卓メーカーであるビジコン社が、インテルに13種類の半導体チップを注文してきた。これは、計算、キーボード制御、プリンタ制御、というように、必要な機能ごとに専用の半導体チップが分かれていたが、これをインテルのホフは、1つのチップに複数の命令コードを組み込んだ半導体を開発することを着想、ビジコン社の嶋正利(後にインテル入り)とともに共同開発し、世界初のMPU「4004」は完成した。ホフは、このチップが広範な応用分野があることを確信していたが、インテルは、この画期的なチップを電卓用途にしか考えておらず、開発費負担と引き換えに、このチップの独占販売権をビジコン社に供与したのである。その後の激烈な電卓戦争で、まもなくビジコン社は業績が悪化、両社の契約内容を更新、インテルに販売権が移った。これは、まさに歴史の皮肉であり、激烈な電卓戦争でビジコン社が勝ち残っていれば、世界の半導体を制したのは、インテルでなく、日本のビジコン社であり、インテルはMPUの下請けメーカーに過ぎなかった。また、当時、インテルの収益源はDRAMであり、日本との戦いに敗れて、DRAMから果敢に撤退し、MPUに経営資源を集中することもなかったかもしれない。もっとも、インテルがMPUを持っていなければ、 PCも誕生しなかったかもしれないが。もちろん、これでインテルの MPU事業が万全になったわけではなく、モトローラとの戦い、さらに、 IBMが自社のPCに、自社開発ではなくインテルのMPUを採用したこと、日本のNECとの開発競争など、多くの試練があったことはいうまでもない。


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